「しんらい」と「しんぱい」
弁護士 佐々木 満男
■本稿はキリスト新聞かんらん@祷A載記事、二千年三月十八日号の原稿です。
「民よ、いかなるときにも神に信頼せよ。その御前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である」
(詩篇六二・八)
「しんらい」と「しんぱい」は、天地の差があります。それは天国と地獄のちがいです。「しんらい」とは、宇宙万物の創造主を信じ頼みとすることです。「しんぱい」とは、創造主によって造られたもの、すなわち被造物に心を配ることです。「しんらい」と「しんぱい」のちがいは、心の方向(ベクトル)が神(天)に向いているか、世(地)に向いているかです。
もちろん、私たちはこの世に生きている限り、この世の問題を避けて通ることはできません。けれども、心が問題にとらわれると「しんぱい」になります。問題は数限りなくありますから、「しんぱい」の種は尽きないわけです。「しんぱい」しないためには、神を「しんらい」しなければなりません。ただし、形だけで聖書を読んだり、賛美したり、祈っていても、依然として心の方向が世に向かっているならば、問題を「しんぱい」することから解放されません。
神を「しんらい」するとは、心を注ぎ出して神に向かうことです。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして神を愛することです。心の方向が神に向かえば、すなわち心から神を「しんらい」すれば、問題を「しんぱい」することから解放されます。問題があっても、それはもはや問題ではなくなってしまうのです。
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