今日一日を生きる
■本稿は恵みの雨§A載記事「あらゆる問題は解決できる」の二千年九月号の原稿です。
1.一日一生
「今日は主が設けられた日だ。この日を存分に楽しもう」(詩篇一一八篇二四節―現代訳)。神は今日という日を、神の子どもたちが喜び楽しむために造られました。「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝毎に新しく…」(哀歌三章二二、二三節)とありますように、神は、毎日新しく、いつくしみとあわれみを与えてくださっています。
けれども多くの場合、私たちはすでに過ぎ去った昨日のことにとらわれています。そして、まだ来ていない明日のことを思い煩っています。時には、十年前、二十年前の失敗にとらわれたり、十年先、二十年先のことを思い煩っています。それらの「持ち越し苦労」と「取り越し苦労」と「今日の苦労」の「三重苦」を背負って苦しんでいるのです。そのような「苦労性」の私たちに対して、イエスさまはいつも、「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ一一章二八節)と言っておられます。
そもそも、私たちは今日という一日を喜んで楽しんで生きるように造られています。過ぎ去った「過去」に生きるのではなく、未だ来ていない「未来」に生きるのでもなく、今ある今日という「現在」を生き、「現在」に生かされているのです。
「一日は貴い一生である、これを空費してはならない」というモットーから、内村鑑三の名著「一日一生」が出版されました。
2.離婚裁判
このところ、離婚に関する法律相談が非常に増えています。愛と希望をもって結婚した夫婦が、やがて愛が冷え希望を失って離婚してしまうのです。夫婦のどちらかが別れたくないとがんばっても、別居、離婚調停、離婚裁判とつづくうちに、あきらめて離婚してしまうケースがほとんどのようであることはまことに残念です。親族や友人が同情心から離婚をすすめたり、調停員の中には早く事件を処理するために離婚するように説得したりする人もいるようです。裁判例も離婚を容認する方向に大きく傾いています。
熱烈な恋愛結婚をしたAさんのご主人が、突然実家に戻ってしまいました。会社の仕事に忙殺されてきた夫と、子育てに疲れ果てた妻との間に知らないうちに大きな溝ができていたのです。
それまで専業主婦だった彼女は、三人の子どもを抱えて生活のために働きに出なければならなくなり、絶望と生活苦から何度も子どもたちと心中しようとしましたが、実行するまでには至りませんでした。
毎日過去を振り返っては、「あんなことしなければよかった。こうしておけばよかった」と自責の念にとらわれます。また、父親のいない子どもたちがこれからまともに育ってくれるのだろうか、自分の老後はどうなってしまうのだろうかと思い煩ってしまいます。
不安と恐れにさいなまれてその日の仕事にも手がつかない、そんなある日、郵便受けに近くの教会の集会案内が入っていました。わらわもつかむ思いで、生まれて初めて教会の門をくぐり、牧師に助言を求めたのです。話を全部聞き終わった牧師は、こう言いました。「大変ですね。大勢の方々があなたと同じような苦しみにあっていらっしゃいます。でも、一日は一生です。今日一日を精いっぱい生きれば、それでいいのではないですか?」。
Aさんは、「一日は一生です」という言葉を聞いて、なぜかほっとしました。「そうだ、今日一日だけだったら、なんとかがんばって生きられる」、そう思ったのです。そして、「昨日のことや、明日のことを心配するのをやめよう」と固く決心しました。
彼女は間もなくキリストを信じ、洗礼を受けました。母親が見違えるように元気になった姿を見て、三人の子どもたちも次々に洗礼に導かれました。今では毎日、家族四人でご主人が救われて戻ってくるように、心を合わせて祈っています。
ご主人から申し立てられた離婚調停が不調に終わり、裁判に移行しました。ご主人の気持ちと態度のあまりの変わり様に、何度もくじけそうになりますが、その都度、「とにかく今日一日だけ生き抜けばいいんだ!」と自分に言い聞かせて、裁判所に出廷しています。妻と子どもたちに祈られているご主人は、いつの日かきっと、キリストを信じて戻ってくるでしょう。
3.今日一日を生きる
「今日一日の区切りで生きる」習慣を身につけることは大切です。「あすのことを思い煩うな。あすのことは、あす自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」(マタイ六章三四節)と書かれているからです。
フランスの哲学者モンテーニュは、「随想録」において、「私の生涯は、おそろしい災いに満ち満ちたものに思われた。しかし、そのほとんどは実際には起こらなかった」と書いています。私たちの人生も同じではないでしょうか。実際には起こらない災いを、あれこれと心配して生きることは、神の目から見れば愚かなことです。神が今日だけでなく、明日の造り主であり支配者であることを信じないからです。
主の祈りも、「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください」(マタイ六章一一節)です。「明日も、あさっても、生きている限りお与えください」ではありません。今日なすべきこと(苦労)は、今日一日だけで十分です。ですから、「今日一日を精いっぱい生きる」ことが、問題解決のポイントであると言えます。
見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である(Uコリント六章二節)。
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